こんにちは。ヤマさんです。
今日は、承認欲求について考えてみようと思います。
承認欲求の塊
承認欲求についてあなたは考えたことありますか?
私はよくこんなことを考えて囚われていました。
誰か自分を認めて!!
誰か認めてくれれば僕は救われる!
誰か褒めて!そして他人より優れている、あなたは頑張っているねと言ってほしい……
そんなふうに考えていました。
他人と比較することで自分の位置や存在価値がわかるような気がしていました。
この人より年収が多いから俺は優秀
この人より学歴が高いから自分は優秀
などなど、自分の存在価値がわからないために、
いたずらに他人と比較し自分の存在を証明していました。
だけど、他人と比較をすることで救われることはないと思ったほうがいいです
なぜなら、自分より下だと思われる人と比べると、
あいつよりマシだ。だから、これぐらいでいいやとなる。
逆に上の人と比べるたら…
・お金持ちになりたい場合
いくら稼ごうと上には上がいます。例えば1億円プレーヤーになったとしても1億円以上稼いでいる人はいます。
また、ソフトバンクの孫さんには勝つことは非常に困難だといわざるを得ません。
・イケメンになりたい場合
いくらかっこよくても完璧な人はいないです。欠点があるのが人間です。
そのため、この鼻の形がすごく嫌い、この声が嫌い、この性格が嫌い、時間を守れない自分が嫌いなど主観的ですが、嫌いなことが多く出てきます。
実際、周りは全く気にしていないにも関わらず…
また、どんなにかっこよくてもアンチはいるため、一部の人から嫌いだと言われ、95%の人が好きだと感じたとしても皆から好きだと言われなければイヤだと思ってしまいます。
だから、誰かと比べると絶対に自分を認められずに満たされることは無く、
ずっと承認欲求を求めてしまいます。どんなに頑張っても惨めな気持ちになってしまうと思われます。
自分を偽ること
他人に気に入られようとすることは自分をだましています。
他人が、いいと思うことを行動としてとるため、自分の行動ではなく他人が望む行動をとっているため楽しくないです。
人と比べないためには
これが全てではないでしょうか?
自分は他人になることはできません。
自分がナスならトマトになろうとしないで美しく美味しいナスになってください
そして、自分が無能すぎて嫌いになった場合は…
無能なことを受け入れて前に進めば良のです。
では、無能なことを受け入れて前に進むということはどういったことなのでしょうか?
それは、また別の機会に書かせていただきます。
今日はこれでおしまい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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